昨日掘ったイモたちですが、並べてみると…

じゃーん!
いっぱいです。
これでも、年少・年中が今日の料理用に、年中・年長が絵を描く活動のために抜いたあとの数です。
まずは朝一から、年長さんが芋づるを使ってリースを作っていました。

自分たちで、つるから茎をとり、葉をとり、分けていきます。
なお、茎はきんぴらに、葉はヤギのランちゃんの餌になります。
まったくムダがないですねー!

つるの部分だけを自分たちで巻き、リースを作ります。

がんばって巻きました!
これは、乾かして、クリスマスリースにするようです。
楽しみですね!
年中さんは、お料理。

おいもを使った「茶巾しぼり」を作っていました。
ひとつ分けてくれましたよ!素朴な甘さで、とっても美味しかったです!

年少さんも、おいもを見に来ました。
朝から絵の具を使っておいもの絵を描き、身体表現でおいもになって遊び、そしてふかしいもを食べるそうです。
(食べているところは、活動時間がかぶり、見に行けませんでした。写真がなくてすみません!)
そして年長、絵の活動。

さつまいもの絵を描きます。
このために、つるつきのイモをとっておきました。
まずは、グループに分かれて、イモをよく観察します。

いろんな発見がありました。
それを手をあげて発表し、みんなで共有していきます。

はーい!
活発に意見が出ます。

そしてじっくりと観察したあとに、絵を描きます。

今回は、年長さんはコンテ画でイモを描きました。
限られた色数で、しかしいろいろな描画方法のあるコンテという画材を生かして、おいもを描きましたよ。
細く描いたり、太く描いたり、こすったり。
いろいろな方法で、自分の見たイモを、自由に描きました。
できあがりをお楽しみに!
年中さんは、自由遊びの時間に、絵の具でイモを描きました。

年中さんも、つるつきの本物のイモを机に置いて、絵を描きました。

僕は、すごくいいなあと思いました。

絵を描く、というのは、自由でなきゃ、と思います。
絵を描く理由は、大きく言えば、「楽しいから」以外にはないと思うのです。
写実的に描かなきゃ、とか、どう評価されるか、とか、上手い、とか
こう描かなくてはいけない、こう描くことがより良い、
そういう不自由さから、できるだけ離れなければいけません。
この子たちは、それができている。
それだけでも、大変、すばらしい表現だと思うのです。
絵を描くということは、「私には、これはこう見えている」という、「私」の表現だと思います。
そこに、「公」、「こうでなければならない」という客観的な視点は必要ありません。
大きく感じるものを大きく描けばいい。
そこにあると感じたものをそこに描けばいい。
その絵には、「私には世界はどう見えているか」が表現されます。
つまり、「絵をどう描いているか」「どういう絵を描いているか」ということに、「この世界を、私はこう生きている」ということが表現されているとも言えるでしょう。
「私は世界を、楽しく、自由に生きている」ということは、なんてすばらしいことでしょうか。
なんて自己肯定感に満ちた表現でしょうか。
これからも、この子たちに、この世界を、感じたままに、自由に生きてほしいな、と思います。
だから、楽しく絵を描きたいな、と思います。
ユウシ
追伸
そして年長になって、またどんどん大きくなるにつれて、自然に客観視を身につけ、技術も身につけていきます。
客観視できるようになったり、他者と比較をするようになったり、表現にまつわる技法や技術を身につけたりするうちに、絵を描くということについての課題にぶつかるでしょう。
3歳や4歳のようには、絵を描くことができなくなります。
しかし、その体験を経て、そして技術的な面が成熟したのちにも、「ただ絵を描くこと(自由に表現すること)の楽しみ・喜び」を幼い頃に心に宿した子は、また自由に自分を表現できるようになると思うのです。
だからこそ、幼児期の子どもの絵を、つまらない大人の視点で型にはめてはいけないのです。
特に書いてなかったですが、「毎週水曜9:30BGM」、ずっとやっていますよ。
今日は…
Oasis - Live Forever
「I think you're the same as me
We see things they'll never see
You and I are gonna live forever
We're gonna live forever
Gonna live forever
Live forever
Forever」
いい歌詞です。