本番と同様、つき2、ひ3、ひ4、つき3、ほし1の順で予行を行い、子ども達はお互いの劇を見あいました。
昨日のブログでも触れましたが、劇の「いいところ」ほど、写真にすると本番の楽しみを奪ってしまうかもしれませんので、チョイ見せで!
つき2
ひ3
ひ4
つき3
ほし1
ほし1が終わったあと、見ていた年長さんに「あおぐみの劇を見て、なにか思ったことがある人はいる?」と感想を聞いてみました。
決して、本番のような完成度ではなく、荒削りで、台詞は覚えてなかったり、声が小さかったりしたんですが、みんな「○○がよかった」「○○が面白かった」「○○なところがかっこよかった」など、肯定的な感想しか出ません。
それがまずすごくいいなと思いました。
いつもクラスで、先生から決して否定的に言われない子どもたち。
自分たちが「言う側」にまわっても、同じような言い方になります。
まず、良かったところを見る。言う。
それが当たり前であることが、素晴らしいと思いました。
そして「じゃあ、『ここをこうするともっと良くなる』ってことに気づいて、教えてくれる人はいるかな?」と聞いてみると、今度は「台詞をもっと大きな声にするともっといいと思う」「動きをもっとピンピンにするといいと思う」など、具体的な「よくするためのアドバイス」が出てきます。
さすがあさひこの年長さんです。
否定じゃなく、批判じゃなく、「よりよくする」ができる。
ちょっと、感動しました。
他の学年、クラスも、とにかく全部とてもよかった。
もちろんまだまだ荒削りだし、細かいことを言えばいろいろあるんですが、そんな「劇(発表)の完成度」「発表会としての先生の熟練度」なんかよりもっとずっと大事なこと、つまり「子どもが自分のやりたいこととして、それを楽しんでいること」が、どのクラスもできていたからです。
これは、普段、部屋での発表会に向けての取り組みを見ていれば、わかります。
どの部屋を見ても、みんな楽しそうなんですもん!
誰も「やらされて」ない。
「やりたくてやっている」=「幼児の主体的な活動」=「遊び」です。
今日の舞台の子達も、本当にみんな楽しそうでした。照れくさそうでも、テンションが上がってても、楽しそう。
中には緊張で固まっている子もいましたが、お部屋に帰ったら「楽しかった」と言っていたそう。緊張しながらも、普段と違う、スポットの当たる舞台を、きっとその子なりに「楽しんだ」のでしょう。誰も、無理やりその場にいさせられたのではないですから。
生活発表会は、劇ではなく、「生活」の発表会です。
当日、おうちの方にお見せするのは、「その日の特別な姿」じゃなく、「過ごしてきた生活の姿」です。
当日の姿から、そこに至るまでの子どもの姿、育ちに思いを馳せていただければな、と。そして、それを感じていただける日になるんじゃないかな、と、今日、予行を見て、思いました。
自分で言うのもなんですが、先生たちは、その保育の本質を本当によく理解して子どもと接していて、自分で自分の園の職員に言うのもなんですが、本当にいい先生たちだなと思いました!
いやー、「自分で言うなよ!」って笑っちゃってください!
でも、本当にそう思うような一日でした。
明日も楽しみです!
園長